上藤鎮朗
開 祖 上泉武蔵守(藤原)信綱
二 代 柳生但馬守(平)宗巌
三 代 柳生(大野)松右衛門尉家信
四 代 有地内蔵允(藤原)元勝
五 代 有地半右衛門元貞
六 代 三宅源八朗重栄
七 代 三宅三右衛門尉栄貞
八 代 三宅太三右衛門尉栄貞
九 代 三宅三左衛門栄堅
十 代 三宅清右衛門源治
十一代 三宅清左衛門源七
十二代 三宅三右衛門継信
十三代 蒲池源三郎鎮浪
初代宗家(広島柳生新影流兵法:柳新会)上藤元三郎鎮朗
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途中略
蒲池宗家より頂いた皆伝録より抜粋。
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新影流の起源
新影流は、上泉武蔵守が諸流を究めた後、愛州移香斎の影流を元に
松本備前守の鹿島神流や己が創意工夫の剣を加えて大成した。
後に影流に“新”の一文字を加えて新影流と号する。
この流れを柳生石舟斎が継承。
(柳生家の新陰流は、江戸徳川家の指南役と、尾張徳川家に指南役として召し抱えられ、両家を中心に発展する。)
石舟斎の高弟大野松右衛門は、印可とともに柳生姓を受け、柳生松右衛門尉家信として有地元勝とともに、筑前黒田藩他、西国へ新影流を広めた。
六代三宅源八郎は、薩摩より再び黒田藩に招致された。
平成九年六月、上藤鎮朗は蒲池鎮浪より免許皆伝の認可とともに、独立道場を許可される。(目録)
現在、広島柳生新影流兵法柳新会は剣法、組太刀、小太刀、無刀取、体術、短杖術、鉄扇術、影流等変化業が多数ある。
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